高く評価されないと許せない。

今日は心のプレート。

人間誰しも人から高く評価されたいという願望あるんだが、努力の足跡がなく、謙虚さを欠いた上から目線のプライドで自分を高く評価されたいと願うのは、ちょっとお門違いかなと思う。

今日のプレートは長文になっているけど、飽きずに最後まで読んでいただきたい。

なぜなら、今日の裏プレートは多くの人たちが持っているものだと思っているからだ。

裏プレートを読んで同調している自分がいたら、それは自分の裏プレートに踊らされている自分を発見することでもあるのだ。

そんな時は、「こんな自分じゃ嫌だ、表にひっくり返れ!」と強く思い、是非とも表プレートにひっくり返してほしい。

裏プレートを表にひっくり返すことは、今までの人生観を見直し、自分自身を価値ある存在として認知できることであり、より素晴らしく進化成長するためのベクトルを修正することでもあるからだ。

 

裏プレート

高く評価されることはしごく当然のことであり、評価しない奴らのことは認めないことが一番だ。

世の中の人間には価値のあるものと全く価値のないものがいる。

全く価値のない奴らほど権利とか主張をうるさくしたがる。

そういう奴らとは格が違うのだから、高く評価されるのが当たり前なのだ。

選ばれたものということだ。

 

レベルの低いことや下らないことには一切見向きもしないことが大切で、低レベルに合わせることは絶対にしてはいけない。

高く評価しない奴らは能力というものをわかっていないのだ。

どんなことにおいても人より優れているのだから優位に立つのが当然なのだ。

 

それは物事を上手く進めることで、人のためにもなる。

人というのは感情的になり冷静に物事を見て進めようとするよりも、下らないことに振り回されているものなのだ。

だから、そのようなことのない優れたものが冷静に客観的に物事を進め、優位に立つべきなのだ。

上手に「下手に出ていれば」人を操ることも簡単にできてしまう。

それが簡単にできてしまうのが優れた人間なのだ。

 

人間というのはいつも下らないことに振り回されているから、優れた人間が上手に操作してやらないといけないのだ。

負けているように見せて本当はこちらの思い通りに進めている。

これこそが本当に優れた人間なのだ。

優位に立っているように見せないものが最も優位な立場を取る。

これこそが、最も優れた人間のやることだ。

優れた人間は優位でなければならない。

それでこそ世の中は上手くいくのだ。

 

表プレート

評価というものをまず十分に知っておくべきであり、評価を超えたところに価値があるということを知らねばならない。

 

評価というものはいかにして行われるものであるかを先ず知らねばならない。

評価というものは認められるか、認められないかということである。

受け入れられるか、受け入れられないかということでもある。

 

では、通説になっていなかった時の過去の者達の評価というものを考えてみれば評価の意味は容易にわかるはずである。

いつの時代も先を走るものは評価されてはいない。

評価されるとは受け入れられ、認められたということなのである。

受け入れられず、 認められていない時と、受け入れられ、認められた時と、事や物、芸術品・作品・努力・思想・化学などに違いがあるのであろうか?

受け入れられた時と受け入れられない時、大きく評価は変わってくる。

評価とはそういうものである。

 

評価と価値は全く違う意味があることも十分に知っておかなければならない。

そして、その価値こそ、努力であり、挑戦を続ける強さであり、ひたむきに進もうとする前向きさである。

ここに最も評価されるべき価値があることを十分に知っておかなくてはならない。

 

この努力をすることなく、評価だけを求めてしまうことが、評価にとらわれているということを知っておかなくてはならない。

ひたむきに努力したものはその努力の喜びを知り、評価にとらわれない。

 

評価を求める努力は喜びを伴わず、本来の意味さえもわからぬまま虚しさだけを知るのである。

 

価値とは評価を求めないものに与えられ、評価を求めるものには与えられないことになっているものだ、ということも知っておくべきである。

 

最も評価されるべきことこそ「評価を求めず、ひたむきに努力をする」それこそが最も評価されるべきことなのである。

注目を集めることなく、評価を受けることもなくても、素晴らしいものが多くあることも忘れてはならない。

物事の本質というのも、この評価されるというパラドックスに存在していることも知っておかなくてはならない。

物事の本質から最も遠くにあるものが評価といっても過言ではないであろう。

 

価値というのは物事の本質に近いところにある。

けれども価値という意味が全く違って通俗的に使われる場合は、全く違ってくることも知っておくべきことである。

価値・本質を知るということは心の進化と同じことである、ということを知っておくべきである。

心の進化のために生まれたことを知るだけなのである。

 

努力の本質こそ、ここにあり、評価とは何の価値もないものだと知るべきなのである。

地上での学びにこそ、本質があることを決して忘れてはならないのである。

 

カルマの達人 入澤清司

最近の記事 おすすめ記事