今日の友は、明日の敵

今日の友は、明日の敵」変なタイトルだと思うけど、本当は「昨日の敵は、今日の友」が正しい。

これは、ある人の心の裏プレートを読んでいたら、こんな言葉が出てきたので、そのまま今日のブログのタイトルにした。

こんな裏プレートを持っていたら、相手の真意を見抜くことなく、常に疑心暗鬼で猜疑心の固まりとなって人を信用できず、もし人が自分のために叱咤激励の言葉を発したとしても、表に現れた言葉の厳しさに強く反発し、「こんなイヤなことを言う人だったんだ!」などと、その言葉の意味を深く考えず、相手を簡単に嫌いになってしまう。

「人間は感情の動物だから仕方がない!」なんて言って、自分から出てきた嫌悪感や猜疑心などのマイナス感情をそのままにして、「あいつは絶対、自分の足を引っ張る敵だ!」「あいつに甘い顔を見せたりしたら、いつか絶対裏切るに違いない」なんて思い、誤解、曲解、疑心暗鬼から猜疑心を拡大させ、感情をコントロールできないまま、怒りの感情で暴走してしまうと言うこともある。

「感情を表に出すのが全部が全部ダメ」ということではないんだけど、自分のマイナス感情に支配されて、今まで培った友好的な関係をいとも簡単に壊してしまうのはどうかな?と思ってしまうんだ。

裏プレートが出ている時は、
まず判断力が損なわれる。
感謝を忘れる。
恩義を忘れる。
そして自己正当化に陥って、
相手を敵と見なして猛攻撃してしまう。
というのがセオリーなんだ。

では心のプレートにいくよ~。

 裏プレート 

人間ほど不確定で不確実、不謹慎なものはいない。

今良いからといって人間誰しもその考えを永遠に持続する、ということの保証は誰もできないし、どこにもないのである。

人間はいつ裏切るかいつ考えるかわからない非常に不確定な存在であることをよくよく心得るべし。

そのためには常に精疑心を持って人の動向を観察する必要がある。

もし観察を怠り、安穏としていると、いつの間にか足元を掬われ、命まで絶たれるようなことは、多々ある歴史上の事実であることを良く知っておくべし。

人はとにかくいつ考えが変わるかわからない。

信用できない存在であることは、身の回り全ての人間がそうであることであり、人を疑わなくなったらその人間に進歩はなくなるのである。

そして常に疑いの気持ちを持続することによってのみ、初めて自分の身の安全を確保できるということを知らなければならない。

たとえかつて命を賭けて自分を守ってくれた者でさえ、いつ裏切るかわからないぐらいの気持ちでいると丁度良いのである。

 裏プレート 

人をもし瞬間的に見抜こうとするのであれば、それ相応の直感力というものを常日頃から養っておくことが必要なのである。

その基本は人に対する愛情である。

この愛情というものには数多くの感情の種類があり、その中の一つに感謝というものがあるけれども、この感謝をベースにして、よく人の気持ちの流れというものを観察していれば、大方7割ぐらいはその人の人間性を量ることができる、というのも事実である。

この感謝の念が薄いものほど人を裏切りやすい。

人を大切にするということが忠誠心の基本になっているけれども、その基本がまた感謝というものでもある。

感謝というものは、報恩というさらに実質の高い高度なものを中心にできている。

これをよく養ったものは裏切るということは極めて少ないことも知っておくべし。

自分の周りのブレーンというものを信頼に満ちた、信用に満ちた人間で多く占めたいと思うのであれば、この感謝と報恩、忠誠心というものを良く育てるように教育を施さなければならない。

そのために注意しなければならないことは、まず自らが感謝と報恩の人間であれということである。

この思いというもの、この感情というものを良く捕らえたるものは、人の感情の動きをよく読めるようになるのである。

ここから外れたものを直感的に見抜くだけの素養を自分の中に磨き上げたのならば、人への精疑心というものは、さほど使う必要がないのも事実である。

猪疑心が高度に発達していったならば直感に成長するのである。

直感は瞬時にしてありとあらゆるところの形を掌握でき、異常を掌握でき、また喜びというものもより良く掌握できるものである。

この高度な直感を養っていくことほど指導者にとって難しくもあり、また有意義でもあるものはないのである。

精疑心・懐疑心・疑心暗鬼。こういうものはやがて直感力に育っていき、人々を瞬間的に掌握していけるほどの力を持つものである。

そしてこれらを質の良いものに高めるためには、まず自らが感謝の念を深く持ち、愛情を高め、寛容な人間になることを目指すべきである。

そうすることによって自らの器が広がり、その上に乗せる人数も増えてくるのである。

これなくして人の掌握ということはまず無理であり、自らの成長なくして、指導者たる資格はないのである。
また良き人間目標としてこのことは生涯目指すべし、志すべし。

裏プレート表プレート、このどちらが自分を成長させてくれるのか一目瞭然だ。

中には「自分は裏プレートのままで良い」なんて言う天の邪鬼さんもいるかもしれないけど、人間生きている年数なんて限られているし、どうせ限られた時間なら有意義に感動的に充実感を持って生きていく方が、素晴らしい人生の展開が待っているはずなんだ。

人間は限りない可能性があるはずだ。

その壁となっているのは自分の中にあるマイナス感情であり、それを許している自分に甘い自分自身なのだ。

これに気付いて、いち早く心の裏プレートをひっくり返していくことが大切なんだ。

カルマの達人 入澤清司

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