世界は恩義の法則で動いている!

今年は昨年と比べると何か素晴らしく活気あふれた一年になりそうな気がしている。
もちろん活気があると言うことは、その分、苦労が伴うと思うけど、努力が大きく報われる一年になりそうで期待が出来そうだ。
過去の痛みや苦しみをそのまま引きずるのではなくて、それを糧として大きな成果が生まれる年になることを強く願っている。

昨年、経済循環の法則というカテゴリーを作って、お金(経済)の循環をよくするための方法論を書いてきたけど、今年も引き続き経済に関するブログを書いていきたいと思っている。

前回のブログでは “下積み”が欠かせないという話をした。
なぜ“下積み”が大切か、というと、お金のなかに入っている「お金さん」に好かれ、応援されるような人間にならないとお金が循環しないから、という話。
覚えてくれているかな?

で、この“下積み”を一挙にどど~~んと大きくしてくれるのが、意外にも“トイレ掃除”、という話もした。
時間のある人はその後30分ほどジョギングしてくれれば驚くほど大きくなる。
そんな暇はちょっと無理、という人には家事をするといい、ということも話した。

結局、経済の循環をよくするには、経済の徳をあげることが大切で、そのひとつが下積みだった。

そして今日、もうひとつ話しておきたいのが、“恩義”なんだ。

経済の循環を潤滑にするのには下積みはもちろん、この“恩義”が欠かせない。
恩義とは、人から受けた愛ある行為を口先だけの感謝に止まるのではなく、「相手への愛情が高密度になり、愛ある行動がスムースに行える」ことなんだ。
ある意味、恩義とは「感謝が素晴らしく発展していること」を示している。

恩義というと堅苦しい言葉のように思えがちだけど、これほど人間関係を良くし経済の循環を速やかにさせるものはないからだ。

社会において経済的発展を望むのなら、「信頼」「信用」「責任」という3つの言葉が欠かせない。
恩義には感謝のみならず、それら3つの言葉がしっかりと人間の心に根付いているはずだ。
ということで、今日は恩義について考えていこうと思っている。

僕がよく言う真理のひとつに
人はお金の重みを知ってこそ、そこに人の重さを理解する
という言葉があるんだ。

人の重さとお金の重さって、どちらにも相通ずるものがある。
お金を軽んじることは、心の片隅に人を軽んじる思いが存在することは意外と知られていないと思う。
お金と人を、軽んじてると言うことは、そこに信頼も生まれず、人も信用できず、責任を簡単に放棄する、という自分の感情と都合を最優先する愛情が非常に少ない人間性が浮かび上がる。経済観念の希薄さは人への関心の希薄さを表し、その人の人生のバックグランドに敬意を払わない尊敬心の欠如や愛情の少なさを表していると思われるんだ。

今、この混沌とした状況におかれている私達にとって何より大切なことは「人と人との関わり合い」であり、「信用」「信頼」「責任」がベースとなった揺るぎない絆を形成することなんだ。
それは人間の心の機微に精通することであり、それと共に秀でた経済観念を身につけられることでもあるんだ。

愛情深い人間性と秀でた経済観念は、融和と調和の世界を形成する礎であり、進化発展する社会を支えていく原動力となっている事を僕は信じている。
お金の重さを知り、お金を使うバランス感覚を磨くことは、人の重さを計る目安であり、絶妙な人間関係のバランス感覚を磨くことでもあるんだ。
お金とは単なる物ではなく、お金の大切な役割として、人間の崇高さを計る物差しになっていることにも気がつかなければならないんだ。

話は変わるけど、11月中旬に、上海ガニを食べに上海に行ってきた話だ。

中国の経済界でも著名なある人に「是非」と勧められたから行くことにしたんだけど、いざ、その予定をその人に伝えたらあいにくその日は先約があって同行できない、ということになってしまった。

普通の人なら「ごめんなさい」で終わってしまうところなんだけど、この人は違った。
「自分の都合がつかないから…」というので、僕たちも知っている彼の信頼できる友人をわざわざ香港から呼び寄せ相手をしてくれた。

香港から上海まで飛行機で2時間半もかかるというのに…。

非常に高級なレストランで最高のお酒をいただき、楽しい時間を過ごして帰ってきた。
僕はそのとき思った。

「あ~、やっぱり経済界でそれなりの地位のある人は、信頼が厚いな。”恩義”があるな」と感じたんだ。

だからますます経済の循環には『恩義』が欠かせない、と実感したんだ。

カルマの達人 入澤清司

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