溺愛に関するプレート

裏 「人は愛によって生かされ、愛によってすべての才能と人間性が開花する」

愛を徹底的に実行していったとき、人間には明るい未来が拓ける。

人ほど愛の価値を存分に知っているものはないのである。

愛こそ至上のものであり、愛なくしてはこの世のすべてのものが色あせてしまう。

愛は一切を生かし、一切を育て、愛があふれているところにこそ明るい未来が存在する。その愛を惜しんではならない。

特に白紙の状態である子供に対しては、遺憾なくそのことを実行すべきである。すべての愛を与えつくすことである。

与えつくして、与えつくして、与えつくすことである。

子供には愛が必要である。

見ているだけでも可愛いものであるが、それがわが子となれば存分に抱き、存分に与え、存分にあらゆるわがままをさえ、すべて聞き、すべて与えつくすことである。

この与えつくす愛によって子供はあたかも十分な栄養を得た木の如く、すくすくとどこまでも高く育つものなのである。

子供の欲求や子供のわがままほど可愛いらしく、いじらしいものはない。この欲求にすべて応えることができてこそ、真の親だといえるのである。

何か不自由させるという事は、愛が欠けることである。

存分に与えつくすことによって、まんべんなく愛は子供の意識を潤し、間違いなくすくすくと育つのである。

愛を惜しんではならない。子供の要求を拒んではならない。要求を拒めば、大事な子供の心に影を落とし、陰りを作ることになるからである。

与えつくせ、与えつくせ、親の持てるものすべて与え尽くせ。

そうして育った子供は親孝行になるのである。

なぜならば親の愛情を一身に受け、親の愛情で全魂が満杯になり、 満杯になった愛情はやがて、周りの多くの人たちにあふれんばかりに流れていくからである。

すなわち愛を満身にたっぷりとたたえた者は、やがて多くの人を愛する素晴らしい人物として、この世に高くその名を残すことになるであろう。

愛は徹底的に与えて与えて与えつくした時に、初めて子供は理想的な人間へと成長していくのである。愛を惜しんではならない。

かわいがることに憶病になってはならない。

何一つ欠けることなく大満足のうちに成人を迎えたものは、そこからさらに大きな飛躍の人生を謳歌するに到るのである。

これが真理というものなのである。これは神の心そのものなのである。

どこかいけないの?

表 「愛はその取り扱い方によって、人を生かすことも殺すこともできる」

愛はすべてを生かすエネルギーの根源であり、その愛の取扱い方によって、人は生き生きと、活発に、元気よく、理想的に育つこともあり、 またその取扱い方を誤ると大事な人間を狂わせ、潰し、使いものにならなくすることもできるのである。

人が愛を発揮するとき、それはとても心地よく、すべてのものを受け入れられるような錯覚にも陥りやすいのであるが、この愛すらも、暴走すると手のつけられない破壊能力を持つという一面もあることを忘れてはならないのである。

人を育てるとき(あるいは子を育てるとき)気をつけなければならないのは、「適量」ということである。

愛は太陽の光にも似て、それを適度に浴びればとても心地よく、心も体もなごむことも確かであるけれども、一方で、太陽の光を、気持ちよいからといって浴びすぎると、肌はボロボロになり、水泡を持ち、 命にかかわるほどの火傷を負うことにもなるという事実を忘れてはならないのである。

愛を扱う者は盲目であってはならない。
子を育てる者は溺愛してはならない。

愛の持つ両面の性質をよく理解し、それを時と場合により適度に使い分けし、与えすぎないことも大切なことなのである。愛を与えることが心地よいからといって、何ら知恵を使わずに与え続けたならば、人間を実に使いものにならない最悪の人間にすることもできるのが、愛の持つ性質の一方であることをよく心得ておく必要があるのである。

まず親が子供に、後も先も考えなくて、ただその場において前後見境なく子供に与え続けたならば、やがて子供は社会に適応することのできない、肉体的精神的にダメにしてしまうことが往々にしてあるので ある。

すなわち、常に満足しか経験させてもらえないのであれば、満足すること以外のことには何事にも興味の持てない、探究心の幅の狭い人間に育つことは間違いないことである。

常に満足が与えられて当然であるから、もし欲しいというものが与えられないとなると、気が狂ったように心の平常心を失うことになるのである。

一般的にはこれをわがままということもできるのであるが、わがままを通すことのみ思考回路が発達し、それ以外の、考えなければならない相手の気持ちであるとか、状況であるとか、場所であるとかいうところに自分の心を馳せることができないために、極めて人の気持ちが読めない冷血漢に陥ることも十分にありうるのである。

すなわち、すべて自分の思い通りにならないと、気が狂わんばかりにダメ出しをする人間になりがちなのである。

人との協調性というものを一切考慮に入れない考え方のみが心を支配しているために、人の気持ちを一切度外視した発言が多くあり、人とのコミュニケーションがきわめて下手な人物に成長するのである。

そして人とのコミュニケーションにおいては常に挫折を味わうことになり、やがて人前に出るのが苦痛になり、家に閉じこもりがちになってくる。外に出るのが怖くなり、病的な人生を歩まざるを得なくなるのも、この愛の与えすぎによる大いなる弊害なのである。

人は人の役に立つような人間を好み、人と協調できるような人間を仲間として認めるものであるけれども、そのことができない人物に関しては、なかなか仲間とみなしがたく、常に人々から敬遠されるような人物になりやすいのである。

あらゆることを周りがすべておぜん立てしてくれていた為に、自分は横着をきめても何ら責められることがないような、愛情がたっぷりす ぎる与えられ方で育つと、周りがすべてやってくれて当たり前という、極めて横着な人間が出来上がるのである。

すなわち自立心の極めて欠けた、社会生活を苦手とする落ちこぼれのような人間が出来上がるのである。

くれぐれも人を育てるときは(あるいは子供を育てるときは)愛情を かけるのは絶対条件であるけれども、そのかけかたに常に知恵と工夫を怠らないようにし、物の与え方や、考え方を今後社会でたくましく 生きることのできる人間をいかにつくるかというところで、知恵の出し方を工夫すべきなのである。

教訓、愛は人を生かすための道具であり、人は決して愛の奴隷になってはならないのである。

重要 親の使命2 ~子供の成長を阻む4毒~

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