嫉妬に関するプレート

裏 「だいたい世の中、面白くないことが多すぎる」

だいたい世の中矛盾に満ちていることが多すぎる。
面白くないことがよくもこんなに起こるものだと不思議にさえ思うくらいだ。
なんであんなとろい奴が、あんな地位に就き、高給を稼ぐんだ、 大体ふざけすぎている。大した努力もしないくせに、要領だけで世の中を渡っている奴が、大手を振っているというこの世の中自体が許せない。

どうして世の中、物が見えていない者が多いのだろうか、もっとしっかり 人間を見るべきだ。バカだ、バカだと思って、からかっていた奴がいつの間にか上司に居座っている。どうなっているんだ、この会社は…。
どうして私に目をくれないんだ、こんなに頑張っているのに。
能力差を見たら、歴然とどちらが優秀なのか、一目瞭然気がつきそうなのに、誰もそのことに気付いた様子が見られない。

どうなっているんだ。仕事といえば会社だけで終わることなく、家に持って帰り、人目にも付かず努力をしている自分が、どうして日の目を見 ないのかわからない。

この前、会社から金一封を貰ったあいつにしても、ここまでの努力をした形跡も見られないのに、見かけの要領の良さだけに人は目を奪われて、 自分の存在に気が付かない。自分は根っから不器用ということもあって、 人にアピールすることが出来ないから、こんな不遇の目にあっている。

これを何とかしない限り、自分に日が当たることは無いのか。
それにしても自分の存在にもう少し注目してくれても良いではないか。
だいたい要領の良さに目がくらんでしまうのが、世の中全体の仕組みになっているようだ。

許せない。

そんな奴が良い目をしているということを思うと、はらわたが煮えくり 返ってくる。
みんな何処を見ているのだろう。どう考えても節穴の目ではないか。

またあのバカな奴が上司から取り上げられて良いポジションに着いた…。
そんなバカな…。
とことんこの世の中は腐れ切っている。

この会社はもうダメだろう。自分の素晴らしさを見抜けない人間ばかりがまかり通るようでは、会社の未来も知れている。
いつか辞めてやろう。面白くない。

表 「心穏やかにして、他人の喜びを我が喜びとして見てみよ」

色々なことがあるにせよ、世の中というものは結構見ていないようで 人を見ているものなのである。
その中で、他人は何をどのように評価するのであろうか。
まず仕事ぶりも当然のことであるが、他人に対して如何に多くサービ ス精神を発揮し、如何に他人の喜ぶところを我が喜びとしているか、 これは人が人を評価する上でとても大きな要素であることに気付くのである。

会社であれば、自分の部署に所属する部下が自分をどのように評価し、どのようについてきてくれるか、というところが大きな評価の対象となるであろう。
いつも不満のあるような顔で上司に接していたとするならば、如何に 能力的に優れていようとも、総合的に見て高い評価が得られようはず もないのである。

まず他人の喜びを我が喜びとして素直に喜んでみることである。
そこに大きな協調性が生まれ、無理のない笑顔が生まれるのである。
そして、表面に出ないところの努力であったとしても、出来るだけそ れをよく見れるような奥深い自分であるべく日々努力をしていこう。
ともすれば表面的なものしか目に入ってきにくいのが人間であるけれども、そこを一歩進んで、目に見えないところで、どこをどのように努力をしているのであろうか、あるいは向上しているのであろうか、というところで観点を広げながら、深く人間を洞察していかなければ ならない。

その中にあって、人が高く評価しているところがどの部分であるかというところを直感的に、あるいは論理的に捉えられるというところの洞察力を磨いていかなければならない。この精神を忘れ、他人の成功や他人の高い評価をただ羨ましがったり、不満に思ったりするだけでは、あまりにも人間として狭量であり、情けなさ過ぎる。

他人の評価というものは常に一点にあるのみではなく、総合的に見られるものであり、その上で、特徴のある長所を持つのであれば、それが仕事であれば会社における評価は高いものになるのである。
角度25度でものの評価を、あるいは人の評価をしたところで、真実は永遠に見えてこないのである。

できれば広い視野で360度、裏表まで見通すことが出来るような、あるいはキャッチすることが出来るような感覚と洞察力を、常日頃から磨くように心掛けるべきなのである。
その心構えを続けて行くことによって、人を見る目が大きく広くなり、それにつれて不満も小さくなって行くものなのである。
不満を多く感じている場合には、自分が見ている世界が、角度の狭いものであるかどうかを反省し、他人を参考にして、さらに自分を磨けるものであるならば、躊躇することなくその努力を怠らないことである。
そうしているうちに広い視野を持つことになり、その中において、他人の自分に対する評価という物が違ってくるものなのである。

人をよく評価する者は、自分もまた良く評価され、他人をけなし、短所を見る目が非常に強いと、また自分も短所しか見られないものなのである。
他人の評価というものが如何に成り立っているかを理解するならば、 自分の評価のされ方と、自分のかもし出す雰囲気というものが、人々にとって心地よいものになって来なければならないのである。
そうなるためには、常に自分を客観的に見るという努力を怠ってはならないのである。

入澤清司のコメント

自分の嫉妬が強ければ、周囲にも嫉妬の強い人が集まって来ます。

これがカルマを早く集める一つの人生パターンになっています。

逆に言うと、カルマを集めるまでは、嫉妬心が当たり前で、これがマズイことにも気づけないものなのです。

他人のちょっと良いことでも、自分が苦しいという感情が出てきたりします。

このカルマが集まるまで、嫉妬させることが面白いという部分が強くて、これがマズイことだと気付かないようになっているのが現実です。

このプレートの裏タイトルに「嫉妬」という言葉が書いてありません。
これも自分自身がなかなか気づけない要因なのです。

こんな物の見方(プレート裏)をしていると、人の良いことに引きつった笑顔しか出ないですね。

自分が不幸だ、世の中がおかしいという考えだけで、一生終わりそうな勢いがあります。

この苦しさ、この見方はどこかおかしいぞ、自分の方がおかしいぞと気づいて、こんなものの見方を辞めようと思ったとき、プレートの表が出て来るのです。

「他人の不幸は蜜の味」といわれる感情は、99%が嫉妬心から生まれ、1%は破壊願望から生まれる心理状況です。

「まず他人の喜びを我が喜びとして素直に喜んでみることです。
そこに大きな協調性が生まれ、無理のない笑顔が生まれるのである。」

参考 嫉妬のカルマで生じる主な症状について

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