善人に関するプレート

裏 「私は善人である。善人であるが故に正しいのである」

私は正義であり、善人であり、絶対に間違いは無い、常に正しい。

その正しい私に対して反対意見を返したり、逆らったり、意見をする者は完全な悪である。

この悪を野放しにしておく訳にはいかない。徹底的に叩きのめし、 徹底的に打ちのめし、二度と立ち上がれないほど打ちのめさなければ、私の正義は収まらない。

何人であれ、私に反対する者は糾弾しなければならない。
追いつめなければならない。

追い込んで、追い込んで、追い込んで相手が完全に非を認め、萎縮してぐうの音も出ないほど、相手を消し去らないと私の自由が根底から損なわれることになる。

このとき、手を抜けば抜くほど、後で嫌な目をみるのは 自分である。
それが嫌なら徹底的にやり込めておくか、息の根を止めておくのが一番良い。

表 「自分は善人であるという認識を捨てることから、大きな心の進化が始まる」

完全無欠な人間が存在することはあり得ないことである。

誰しも数えきれないほど多くの修正点や欠点を持ち合わせているものなのである。

そこに気付き、修正し、反省をするのであれば、その数が多いほど心は柔らかくなり、自由性を帯び、愛情豊かになり、多くの素晴らしい感動をつかめるように出来ているのが人間なのである。

要するに自分の修正箇所に気付けば気付くほど、心と魂は目覚しい進化を遂げるように作られているのである。

神様は人間を作る時、あらゆる欠点を散りばめた「裏」を表面にして作られた事実がある。その欠点にいくつ気付いて、修正していくかという過程の中で、愛情豊かでパラエティに富んだ個性が作られていくように設計されたのである。

言葉を変えるならば、「裏」を反省することによって「表」が現れ、本来の素晴らしい個性が現れるようになるのである。

自分が常に正しい者であり、間違っていないという判断こそ、進化を止めてしまう大きな間違いなのである。

入澤清司のコメント

裏プレートのウソに気付かず、野放しにしておくと、何兆年も何十兆年も何百兆年にも渡って、善人の壁というものが作り続けられることになるのです。

その壁の厚さは、やがて想像を絶する厚みへと成長することとなり、その結果自分自身のあらゆる修正箇所、欠点というものが一切見えなくなり、人に頑固な印象を与え、自由な精神とはほど遠い固い心を作り、運命の改善に不可欠な反省と言う恵みを受けられない状況に陥ってしまいます。

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